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BLOGあしあとのかなたに

森のイスキア

2022.09.25

癒しの場「森のイスキア」

今は亡き佐藤初女さんが青森県の岩木山のふもとで、救いを求めて訪れる人たちの癒やしの場「森のイスキア」を主宰していました。
佐藤初女さんは1983年から悩みを抱えた人々を自宅「弘前イスキア」に受け入れ、92年岩木山麓に「森のイスキア」を開設。来訪者の悩みに耳を傾け、食でもてなし癒やすことで再出発を支えてきました。
「森のイスキア」で佐藤初女さんは助けを求めるすべての人を迎え入れ、話に耳を傾け、食を共にしました。
「美味しいと感じたときに、人の心の扉を開く」との思いから、おむすびと山菜などの家庭料理をつくってともに食卓を囲み、多くの人を再出発へと導いたのです。
私が佐藤初女さんと森のイスキアを知ったのは佐藤初女さんが亡くなった後でした。
生前に「森のイスキア」を訪れ佐藤初女さんの手料理をご馳走になり、心の奥にある気持ちを聴いてもらいたかったと思います。
佐藤初女さんはグリーフと向き合うのにヒントとなる多くの言葉を残してくれています。
その内のほんの一部ですが紹介したいと思います。

「森のイスキア」が教えてくれる食の大切さ

食というのは、ストレートに心に伝わるものですから、食べて、「美味しい」と感じた時に、脳細胞は働くのです。ですから、言葉でいくら話しても、きちんとした食事を与えていなければ、魂には響かないと思います。
親が、たった一品でいいから、食材を「いのち」として捉え、おいしく食べられるように作ることが大切なのです。
おいしいと思うことで、生きる力が出てきます。こんな日常の簡単なことに気づけば、辛いニュースも少なくなるのではないでしょうか。

佐藤初女さんの言葉です。
食材を「命」と思うことは人を大事にすることに通じ、こころの入った手作りを食べていると心が満たされ、
生き方と食事には不思議なつながりがあり、素材の命を生かすように料理すれば、人も生かせる。
また家族がテーブルを囲んで一緒に食べる。すると、自然に「和」ができる。
一緒に食べることは、深いところでこころが通い合えるのです。
おなかが満たされてくると、自然に感謝の気持ちが湧いてきて、次には他人に何かしてあげたくなるもののようです。
こころを込めて用意された料理を、みんなでゆっくりいただくと、自分だけの苦しみに閉ざされていても、自然に
感謝の気持ちが湧いてきて、新しい一歩を踏み出すきっかけにつながる。
佐藤初女さんが「森のイスキア」での経験から感じることです。

自分の食は

食の優先順位が低く栄養を取るもの、空腹を満たすものと味わうことなく、流し込みように食べています。早く食べて他のことに時間を使いたい。またながら食事も多いです。
食に集中してゆっくり食べるのは、珍しいおいしいものを食べるときだけと思います。
時間を使う優先順位が間違っていたと、当たり前の食を見直し、食にかける時間を優先すべきだと感じます。
子供に対しても美味しいものというモノを与えるのでなく、おいしく食べるという心を共有することが大事だと感じます。
そうするだけで、辛いニュースは少なくなると今は実感できます。

「森のイスキア」が教えてくれるありのままを受け入れること

人は「受け止められた」と思った瞬間から、本当の強さを発揮する。
今の世の中に足りないのはあるがままの自分を受け入れてくる場所
そばにいて共感し、受け止めることで、その人自身が解決方法を見つける・・・・。それが一番大事な事。

わずかな時間で、自分なりに相手の内面を想像するのは危険なこと。
その人の言うことが本当に正しいのか、わたしの思うことが正しいのか、
それは誰にもわからないこと。
それを判断できるのは神様だけ

佐藤初女さんをこれを実行され続けたんだと思います。だから多くの人が心のこもった料理で心が解放され、思いを話すことができ、今、話していることを大事に傾聴してくれる中で、自分で解決方法を見つけていったんだと思います。
自分なりの判断で相手の話を聞かない。今ここに集中して相手の話を聴く。大変難しいことです。
少しずつでもできるようになっていきたいです。
それには、幸せも安らぎも、どこか遠くに求められるもではなく、ちょうど今に満足できることが本当の豊かさであるように、大切なのは「今、ここ」を生きること。
すべてが今この瞬間にあるとおもうから刻まれるこの時間を大切にする。
言葉を頭で理解するのでなく、五感で「今、ここ」を感じられるように成長していく必要があります。

「森のイスキア」が教えてくれるグリーフと付き合うヒント

不自由な生き方をしていると、今ここにたくさんある幸せに種を見つけられなくなります。
困難の中にある時こそ、人は自分の生き方を見つめ直さなくてはならない。
思い切った展開を迎えるためには、時にはすべてを委ねる気持ちになって、大きく一歩を踏み出さなくてはならない。
こころの傷はそう簡単に消えるものではありません。忍耐して時の流れがこころを癒してくれるのを待つことも大切。
人が他の人を癒すということは、できることではない。癒しとは、自らの気づきから起こってくるもの。
もし相手に腹が立つなら、まず腹を立てている自分を認めること。こころが悲しんでいるなら、悲しいという自分をそのまま受け入れてくれること。
「禍福は糾える縄のごとし。
禍と福は必ず繰り返し巡ってくるものだから、幸せの時こそ謙遜に、苦しい時にも希望を持ちなさい」
苦しいと思うほど、とことこん苦しみます。もうこれ以上できない、もう限界、というところのどん底にまで落ちるのです。
苦しみから這い出す時は、自分の好きなことに挑戦して気分転換し、少しずつ、忘れていくようにします。

森のイスキアで多くの人を癒してきた経験からでる言葉だから、言葉に愛情を感じます。
私も大きなグリーフと付き合いながら生きています。
佐藤初女さんの言葉が心に届きます。
私も心から人の話を傾聴して自らきづくことの手伝いができるようになりたいです。
それには今ここに感謝できる感受性を身に着けていけるように、今ここをゆっくり感じる時間を作っていきます。