「面白き事なき世を面白く住みなすものは心なりけり」
好きな言葉「面白きことなき世を面白く住みなすものは心なりけり」
私は高校生から20代前半の時に司馬遼太郎さんの小説をよく読んでいました。特に幕末について書かれた小説が好きでした。その中でも司馬遼太郎さんが書かれる高杉晋作さんの魅力に引き付けられていました。
ですから、私の一番好きな司馬遼太郎さんの小説は「世に棲む日日」になります。
「面白きことなき世を面白く住みなすものは心なりけり」は高杉晋作さんの辞世の句です。
私は高校生の頃から今でも好きな言葉は?と尋ねられると
「面白きことなき世を面白く住みなすものは心なりけり」
と答えています。
「面白きことなき世を面白く住みなすものは心なりけり」の解釈
20代の頃は、「面白きことなき世を面白く住みなすものは心なりけり」でどんな意味?
と問われると、
「平凡に日々生きてても、世の中はつまらない。高い目標を持って生きれば生きる価値があり、世の中は面白いものになる。」
と答えていました。
あなかし間違った解釈ではないと思いますが、高い目標を間違えていたと、最近感じました。
それは、高い目標を人との比較で見ていたことです。
人と比べて、仕事、収入、ポジション等を自分の評価にしていました。
人と比べても自我の要求は際限のないものになるだけで、心の安らぎはなく、いつまでたっても世の中は面白くならないと気づきました。
会社の中で経験を積み、管理職になり組織での立場が上がるほど、
「お客様を思う。自分の部下を思う。弱い立場の人の事を思う。」
事より、自分の利益、自尊心、立場を守る人、どうかすればそのためにお客様や部下を悪者にする人の比率が自分の周りに増えていき、自身の感覚も麻痺していったと思います。
これが自分が思い描いていた高い目標の場所だったと思うと空しくなりました。
「面白きことなき世を面白く住みなすものは心なりけり」の自分なりの新解釈
自分の仕事、生き方を見つめ直すようになり、気づきがあり、
「面白きことなき世を面白く住みなすものは心なりけり」の解釈は自分の中で大きく変わりました。
まず「平々凡々と生きていても世の中はつまらない」という考えが、そもそも出発点から間違っていると気づきました。
「面白きことなき世を面白く住みなすものは心なりけり」とは、世の中に自分とか他人はなく、すべて一体になっている。それなのに、自分で心に壁を作って他と比較して自分の心に不幸せ、世の中を面白いと思えないようにしている。すべて一体となっている。その当たり前の日々が奇跡で、その奇跡に気づき、感謝することができれば、
今ここに集中して、世の中は面白いものになる。ということだと解釈が若い時と真逆の解釈になりました。
日日に追われ、自分を見つめ直す時間をとれずにいると、自分の意志は弱いので、また人との比較に世の中の面白さをを求めて際限のない欲の世界から抜けれなくなるので、自分の心を見つめ、少しでも自分の心の垢を落とす時間を大事にしたいと思います。