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BLOGあしあとのかなたに

私が好きな禅語「一切唯心造」

2022.07.31

一切唯心造

「一切唯心造」は私が好きな禅語の一つです。
全ての現象や存在は、自分の心が造りだしたもの、心のほかに何も存在しない。という意味になります。
お盆に行われる施食会で唱和される「甘露門」というお経の一節で、その一節の現代語訳をみますと、「宇宙の一切の出来事は心が造り出してします。」と書かれています。

一切唯心造にまつわる白隠和尚の話

ある武士が白隠和尚に「地獄はあるのか?」と問いました。
問われた白隠和尚は「今さら何を聞くのか」と武士を罵りました。
すると怒った武士は、白隠和尚を斬りつけようと刀を抜きました。
そこですかさず白隠和尚は「そこは地獄よ」と叫びました。
はっとした武士は「地獄のことがよくわかりました。」と頭を下げました。
すると白隠和尚は「そこが極楽よ」と指摘しました。

一切唯心造から自分が感じること

有無、損得、美醜、愛憎、
自分の立場から物事を2元的に捉えるので、同じ場所、同じ経験をしても人それぞれ沸き起こる感情は違います。
つまり全ては、目の前にある現実は自分の心が創り出しているので、人それぞれ現実は違ったものとして映ります。
思考、感情、感覚、欲求も存在しているのは、自分の心の中です。
しかし、それを自分の外にあると思い、悩み、妬み、いさかい、という感情を自分の中に創り出してしまって、他人との争いを起こすという悲しい事を繰り返していると思います。

一切唯心造で感じる「慈悲喜捨」

「慈悲喜捨」とは
慈しみ  自他ともに幸せを願う
悲しみ  苦を無くすように助けますという心の優しさ
喜び   他の生命の幸せや繁栄を見て喜ぶ明るい心
捨てる  心を中立にして見ることができる落ち着いた心

一切唯心造の境地になれるか

私は、どうしても自尊心があり、いくら注意していても、すぐに自分の立場から物事を捉えてしまいます。
だから、どうしても物事を2元的に捉え自分の立ち位置と違う位置から物事を捉えている人と対立の立場に
なってしまいます。
心を中立にして見ることができたら、世界はどのように映るのだろうかと想像します。
一生かけても感じることができない境地かも知れませんが、日々、意識したいと思います。