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幸福観の貧弱化、貧困化

2024.02.25

一時的な幸せ、永続的な幸せ

「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ(清水康之/上田紀行著)を読んで印象に残る言葉を紹介する2回目になります。

「昨日よりも今日、今日よりも明日」というような物質的な豊かさの果てにも、明日のずっと先には、必ず≪死≫があるわけですから。いくら大金を残したところで、何人たりとも≪死≫を回避できない訳です。
社会、あるいは世の中というものは、自分の短い一生とは関係なく、半永続的に営まれていくものです。だから本来、社会と個々人の生活の幸福度に対する尺度は、全く違う次元のものであるはずです。ところが、社会的な「発展」を前提として、個々人の「幸福感」が決められている。社会の中でどれだけ地位を得て、どれだけの物を手に入れられたか、というのは、その社会の中だけの価値観があって、その人独自の幸福量とはさほど関係のないものなのに。
おそらく死ぬ瞬間に自分はどれだけ幸せだったかを振り返るときに、その幸福量を計るのは物や地位や金ではないはずで、問題は、その限りある人生をどのように生きてきたのか、ということだけだと思うんです。

~中略~

以前にダライ・ラマ14世と対談させていただいたとき、彼が強調したのが、「人間には二つの幸福がある」ということなんですよ。
ひとつは≪一時的な幸せ≫、もう一つは≪永続的な幸せ≫です。
つまり、いろいろな時代や条件はあっても、とにかく、そういうものには絶対に左右されない幸せと、もうひとつは「今は金が儲かって幸せ」、だけど「金がなくなったら不幸せ」、「今は結婚したから幸せ」、でも「その人と不仲になったら不幸せ」的な幸福観があると彼は言うんですね。言い換えれば、≪諸行無常的な幸せ≫と、≪その中でも永続していく幸せ≫ということになります。
もちろんお金が儲かれば幸せかもしれないし、そういう物質的な充足感も生きる上では重要なことですよ。でもそれとは別に、「より息の長い幸せ」とか、「永続する幸せ」というのも同時に考えていかなければならないと思うんですよ。

今の大人たちが生きづらさを感じているのは、バブル崩壊以降、経済は成長しないのに、経済が成長していく前提での幸福論だけは変わらずあるからではないでしょうか、ましてはバブル崩壊以後に育った世代は右肩上がりで成長する経済を知りません。むしろ使い捨てのように、やり直しがきかない社会から脱落しないようにして疲弊している仕事をしている大人をみてきているのではないでしょうか。
これでは永続的な幸せなど、今の社会システムで感じることは厳しく、一時的な幸せさえも感じることができないのではないでしょうか
ここに経済は豊かなのに、自死する人が多い日本の欠陥があるように思います。
ゲームチェンジ。早急に行う必要があるかと感じます。