自分のストーリーを描こう

mission6 > ブログ > 近代日本における、三回の≪敗戦≫ -->

BLOGあしあとのかなたに

近代日本における、三回の≪敗戦≫

2024.02.11

バブル崩壊後

「自殺社会」から「生き心地のよい社会」清水康之、上田紀行著にて非常に考えさせられる事がいくつもあるので、何回かにわけて紹介したい。

≪第一の敗戦≫は、第2次世界大戦の敗戦で、これは軍事的な敗戦です。次の≪第二の敗戦≫は、1990年代の前半に起こったバブル崩壊のことです。これは経済的な敗戦であり、以来日本は「失われた10年」と称されるような時代に突入していきました。
そして現在は、僕の現状認識としては≪第三の敗戦≫に直面していると考えています。それは≪無意識の敗戦≫です。
つまり、我々はバブル期の≪第二の敗戦≫のときの処方箋を間違ったままで、それ以降の約15年間を過ごしてきてしまった。そのことが≪第三の敗戦≫につながっていると思うんですよ。
~中略~
あのバブルの時代なんて、本当に今から思うと狂気としか思えないですよね。それくらい人間が経済化してしまって、もうそれ以外のことが分からなくなってしまった。「人間が生きるうえで、真の豊かさとはどういうものなのか」ということを考える暇もないうちに、まさに「株価がいくらなのか」「この土地の価格はどのくらい上がるのか」といったことに血まなこになるような価値観への変化です。≪豊か≫になるため数字に、使われ、一喜一憂していくような人間になってしまった。
つまり我々人間は、「経済を使う存在」ではなく、「経済の大波に呑み込まれていく存在」になってしまったわけです。その結果として、自分自身を見失ってしまった。
~中略~
何が人間にとって真に幸せなのかを見つめ直すことで、新しい身の振り方、処方箋を考えなければけなかったのに、結局のところはそうはしなかった。落ちた株価や、不況に直面した経済をいかに回復させ、再び景気を良くするかという手っ取り早い答えを求めるあまり、ものすごく強い劇薬である新自由主義的な政策を取り入れてしまった。
~中略~
そういう処方箋を社会にばらまいて走り出してしまった。先ほどの、社会船体の20パーセントくらいの人しか達成できないような目標を、社会のデフォルトとして設定してしまったわけです。
それを15年間くらい続けた結果の、自殺者3万人社会だと僕は思っています。
では、我々が今直面している肝心の≪第三の敗戦≫とはいったい何の敗戦なのかというと、それは、ある種の≪無意識の敗戦≫とも言うべきものではないかと思うんです。我々が無意識の内にとらえている社会像、あるいは人間像、それらの敗戦なんじゃないかと。
あるいは、こうも言えるかもしれません。我々の社会の中から、≪信頼≫というものが失われてしまったと。
たとえば、≪第一の敗戦≫では、軍事的な敗戦ということで、領土も失ったし、それ以前に多くの人命が失われた。≪第二の敗戦≫のときは、経済的な美徳が失われてわけですよね。≪第三の敗戦≫では、一言で言ってしまえば、社会から≪信頼≫が喪失されたということだと思うんです。「信頼できるような社会システム」「信頼できるような人々の絆」、それが失われてしまった。
人というのは本来助け合って生きていくものです。「困っている人がいれば助けるのが当然」「自分の冨が若干減っても、みんなで助け合って生きていきましょう」という精神が、従来の我々の常識だったはずです。
でも今は、そのような考えはほとんど希少なものとなってしまった。
いかに社会を勝ち抜き、「負けた人間は自己責任だ」と切り捨てて、「俺だけはどうにかして≪勝ち組≫に留まり続けよう」ということのみを考えていく。
本来ならば、そんなこと言うのは人間として非常に恥ずかしいことだったはずです。かつての≪第二の敗戦≫以前だったら、「負けたのはお前の自己責任だからどうにでもしろ」と言って手を差し伸べないでも平気でいるようなことは、恥ずかしくて堂々とできるような筋合いのものではなかった。

戦後の振り返り

国や社会の問題という他人事でなく、自分ごととして、戦後を振り返り、得たもの、失ったものを見つめ直すことをやらずに、ここまでただ進んできたように思える。一度立ち止まり、過去を受け止めて、未来の子供達へ何を引き継いでいくのか考える事を、一日でも早くしなければならないと感じる。