隠れたマイナス
マイナスからゼロへ
来年、自死遺族支援者研修で講演するにあたり、あらためて私と兄の生い立ちを振り返っている。
マイナスとは生きる気力がない状態、どちらかといえば消えてしまいたい。ゼロは生きる気力がある状態、プラスは生きがいを見つけていく状態と考えると
ゼロからプラスへは、支援は行き届いているとおもうが、マイナスの状態で、困窮、虐待等の社会的養護が必要ない場合は、支援が行き届いていないとあらためて感じている。
社会的、経済的には、養護が必要でないが、心に生きづらさをかかえた人に支援が届いているのか
兄は母の自死後、グリーフワークをする場所がなかった。というより父、親戚からその場所を取り上げられてしまっていた。しかし、本人はその気持ちに蓋をし、グリーフを表現することなく、父は社会的地位があったほうなので、周囲は兄の心にモヤモヤがあるとは思っていなかった。しかし、大学入学後、心がたえれなくなり、精神を患ってしまった。
今、核家族化し、決められた道を機械の部品のようにすすまされる子どもたちが増えているように感じる。それは兄のように、社会的には養護は必要ないが、生きづらさを抱えて心が孤立している子どもをつくってしまっているのではないだろうか。
その子ども達は能動的に生きる事ができずに、受動的に生き、失敗すれば自業自得と自分を責めるスティググマを持つ心の状態にいるのではないだろうか、マイナスの自分を隠し、偽りの自分を生きているのではないだろうか
このマイナスをゼロにする、まずありのままの自分を受け入れてくれる場所が必要であるが、家庭にその場所がない場合に、社会的養護が必要のない家庭にいる子どもは支援に行きつくことが、現時点では難しいと感じる。
マイナスからプラスにはいけない
生きづらさを抱えながら、自身が悪いと無理にマイナスな状態なのに、プラスの偽りの自分を演じることを子どもはできると思う。それは偽りでいつか心は壊れてしまう。
マイナスをゼロにしないとプラスにはいけない。
家庭環境に問わず、全ての子どもがトラウマを抱えている。そういう視点で、小さなモヤモヤの内に子どもたちがアクセスできる環境が必要なのではないだろうか
スクールカウンセラーは増えているが、小中高生の自殺は逆に増えている。
隠れているマイナス状態の子どもにいかにアクセスできるか、それには、大人が学び直さなければならないことがたくさんあると思う。大人が今の子どもたちの置かれている現状について、子どもの権利について認識する事が重要な要素であると感じる。