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BLOGあしあとのかなたに

今いのちがあなたを生きている

2023.11.12

主格と与格

中島岳志さんの「思いかけず利他」をこの1年間で3度読み返しています。読み返すたびに、新しい気づきが得られます。その中で最近の気づきを紹介します。

ワーケーションデザインを学んでいた時に中動態という文法構造を学びました。これを思いがけず利他では与格の視点で説明されています。

日本語では一般的でない文法や構文ですが、ヒンディ語等では、与格構文が使われています。

主格は、自分の意思や力が及んでいる場合で、主語は「〜は、」「〜が」で表現できるもの、例えば「私がやります。」「私は会社員です。」になります。

与格は、自分の意思や力が及ばない現象について「〜に」で始まる構文で、例えば「私はうれしい」でなくて「私に嬉しさがとどまっている」、「私が風邪をひいた」でなく、「私に風邪がとどまっている」になります。心は自分の意思で中々コントロールできませんし、風邪も自分の意思でひくわけではないですよね。

私、主格によって、私の存在をとらえ、意思の外部からやってくるものを退けて、自分の意思が自分の行為のすべてをコントロールしている、統御していると思い込んでしまっているのではないだろうか。他力を感じる時に、生かされている自分に気づき、他人の許容もできるのかも知れないと感じます。

今の日本は文法、構文のみでなく、生きていくことにおいても与格がないような気がします。

 

今、いのちが私を生きている

「私がいのちを生きている」ではなくて、「今、いのちが私を生きている。」

私はいのちの器であって、いのちの所有者ではない。自力を過信し、自分の能力で何でもできると考えずに、自分の限界を見つめて、謙虚な姿勢が必要で、そうすれば他力について自己を開くことができる。聞こうとしてきこえる救済でなく、己を投げ出すときに、聞こえてくる救済がある。と書かれているのを読んで、利他的になるには、器のような存在になり、与格的主体を感じる感性を身につけることが必要だと感じました。

その為には、自分の能力を過信せずに、謙虚に自分を見つめ直していこうと思います。