亡き母への感謝(ブログ公開1年、私のグリーフ体験)
ブログ公開から1年
私は小学校5年生の時に母を亡くしています。人生の楽しさを知る前に、死を実感するようになりました。喪失感を持って大人になりました。その過程や、今、考えていることをブログにして、グリーフで生きづらさを抱えている人、またその支援をする人の気づきのきっかけになればと思い公開を始めて1年になりました。
公開1年になる今回は母への感謝の気持ちをブログで伝えさせて頂きます。私の素直な気持ちがグリーフと上手に付き合う手助けになればと思います。
母に心からありがとう
お母さん、あなたは私を産む前に大きな病気をし、私を産むことを身内からも医師からも反対されましたよね。
それでも私を産んでくれましたよね。
私を出産した後、やはり体調が悪くなり、私が大人になるまで成長を見届けることは、できませんでしたよね。
でも、体力がある間、この世の素晴らしさ、それを感じる事ができる感受性の種をいっぱい体験させてくれましたよね。
たくさんの愛情を注いでもらったのに、私は、お母さんが亡くなってからは、あなたの命にかえて生んでもらったのだから、それだけの価値のある人にならなければならない。お母さんの分も生きなければならない。という過剰な責任感と、私を産まなければ、お母さんはまだ生きているのでないか、私を産んだ後、産んだ事を後悔したのでないか、という自責と、私はお母さんが自分を犠牲にしてまで産んでくれるだけの価値はない、という自己否定を持ったまま成長していきました。
その満たされない気持ちに無理やり蓋をして日々、過ごしていました。
たくさんな方から慰めや励ましの言葉を頂きました。しかし、申し訳ありませんが、私の心の奥底にある気持ちから解放される事はありませんでした。解放されるには、思い切り泣いて、ただ自分の思いを聴いてくれる場所が必要でした。それができるのはお母さん、あなたしかいなかったんでしょうね。その変わりになるものは、どこにもありませんでした。
大人になって、現実感のないまま、ただ日々、過ごしている中で、お母さんが遺してくれた詩集を、読み返す機会がありました。
「息子に あなたに音楽のもたらす喜びを 本を読む味わいを 頂に登った時のすがすがしさを そして海の素晴らしさを 風の優しさを まだ何一つ教えてはいません 人生のもたらす 人との出逢いの素晴らしさを そして生命あるものをいとおしむことを いつかきっと 共に語れるように 母さんはきっと元気になります。それでも叶わなかったなら 命を与えたことだけですが、許してください。」
お母さんが私に味わってもらいたい人生の素晴らしさに気づくことができました。その感受性を身につけさせるために、幼少の頃に、本当は体がきつかったでしょうが、様々な体験をさせてくれたんですよね。
お母さんと語り合うあうことはできませんでしたが、人生の素晴らしさをたくさん感じようと思います。そして一人でも多くの方に人生の素晴らしさに気づくお手伝いができればと思います。そうすることによりお母さん、あなたの作った縁はこの世で繋がり続けるんですよね。
私はこのことを自分の生きる目的にして、ようやく自分の人生の一歩を踏み出せました。まだ時にはグリーフで苦しくなることはありますが、「産んでくれてありがとう」と今は心から言えるようになりました。