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オープンダイアローグでの対話

2023.04.09

オープンダイアローグとは

オープンダイアローグは1984年にフィランドのケロプタス病院で生まれた、開かれた対話による精神医療です。当事者を支えるネットワークに関わる人達が集まり対話を行う。ただそれだけで、統合失調症をはじめとする精神疾患の再発率が激減しているとの事です。
私自身、精神科治療に関して薬物治療がメインで心のケアは充分でないとのイメージがあり、急性期に薬物治療で落ち着かせる効果はあるが、その後の心のケアができていないので、根本的な治療にならないのでないかという疑問を感じを持っていたので、対話で治療するという事に関心を持ちました。中でも対話の意味について、自身の生き辛さ、また自身の子供への接し方で学ぶ事があったので、紹介したいと思います。

対話とは、

対話と会話の違いとして、会話というのは、「合意と同一化を目指すもの。」対話というのは、「自分と相手がいかに違っているのかを受け入れるもの」ためのもの。違っているからこそ対話できる。客観的なこと、正しいことを尊重しすぎると、対話の契機は失われ、正しいことや客観性を目指すような「会話」に成り下がってしまいます。もし、会話に成り下がってしまったら、治療的な対話実践の立場は失われてしまいます。治療者も、患者も、その家族も、それぞれの主観から発言してるという点では同列の立場です。その意味で対話はつねに主観と主観の交換でしかありえません。と説明されています。

親子で対話ができていたか

医療には治療者が上、患者が下という同列でないイメージを私はもっていますが、同列の立場で対話するという事は今までイメージしていた治療とは全く異なります。
親子関係も同列でないのではないでしょうか?
家族の場合は「思い」が強く、どうしても対話にならず、説得やアドバイスや議論という強い立場からの自分の価値観の押し付けになり、弱い立場の家族は沈黙さざるえない事になっているのではないでしょうか?
自身も親の価値観を押し付けられ、自身の心の中を話すことなく、次第に反抗的になる青年期を過ごしました。反対に子育てにおいて、子供に自身の価値観を押し付け、子供ときちんと対話したことがないと思います。どちらも愛情がないわけではありません。愛情が強いから転ばぬ先の杖を、まだ相手は人生経験が少なくて何もわからないのだから、失敗して後悔しないようにという思いからだったと思います。
でもそれが子供の頃からの自分の生き辛さ、また自分の子供にも生き辛さを感じさせていたと思います。
私自身、親と対話できていれば心にあった虚しさはもっと早く解決できたと感じます。しかしそう感じるのに自分の子供に自分が親からされた接し方をしてしまっていた事に反省を感じます。ここには同列の意識はなく、扶養するもの、扶養されるものという意識が強く働いていたと感じます。
医療現場でなくても、対話の意識を持つだけで、家族の関係は全く違うものになるのではないか、ここに自分が求めている「ありのままの自分、ありのままの自分でいられる場所づくり」のヒントがあるのではないかと思います。

対話での注意点は

まずは他者は、自分とは決定的に違うし、他者を自分と安易に同一化することは間違っているという認識を持つこと。
説得・議論・説明・尋問・アドバイスがしない。
体験を否定しない。
わかったつもりにならない。
相手を変えようと思わずに対話を続けていく。
これだけで相手は尊重されていると感じ、自身の内面から変化していくようです。
自身がこのように人と接する習慣を身に着けることにより周囲に連鎖が起こり、ありのままの自分、ありのままの自分でいられる場所がある人が増えていけばいいなと思います。
中々、長年の習慣を変えるのは難しいですが、実行していきます。