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こどもが自由に自己の見解を表明することと対にならないこどもの最善の利益

2024.06.09

消えてしまいたいというこども達

最近、消えてしまいたいという、こどもの表現をよく聞く。話しを聞いていると自分は必要ない存在、いてもいなくてもよい存在と、ありのままの自分を受け入れる事が出来ない非情に自尊心が低いと感じる。またその低さから自分は周囲に迷惑をかけている。特に親兄弟の邪魔になっているだろうから、でも私が死んだら親は悲しむだろうから死ぬことはできないので消えてしまいたいという表現になっていることが多い気がする。
親の愛情は感じているのに、自分を認めることができない。
なぜそうなってしまうのだろう、

こどもの最善の利益が価値観のおしつけになっていないか

このような表現するこどもには育児放棄されているわけでもなく、虐待を受けているわけでもない。外からはこどもの心の内が非常に見えづらい環境にいる子どもも多くいると感じる。
でもこのような家庭は、自分達はこどもの最善の利益を考えているから大丈夫と思っているのではないだろうか、ちょっと立ち止まって考えてほしい。
こどもの最善の利益は、こどもの見解をきいて決めていますか、自分の価値観のおしつけになっていませんか、よかれと先回りして、こどもが体験する機会を奪っていませんか、話しをきいているようで都合が悪い事、説明できない事、わからない事だったら、無理やりいう事をきかせていませんか
この積み重ねが、こどもの自尊心が育むことができない、また心を安らげる場所がないという事をうんでいるのでないかと感じます。でも親の愛情は感じる。だから、どんどん自分が悪いに向かっている気がしてなりません。
「あなたはどう思うの、あなたはどうしたいの、」
まず聞くことが、とても大事なことではないでしょうか