自殺のサイン?
自殺のサインはあるの?
この言葉は大切な人が自ら命を絶った人の自責の念と誰にも話せないという強くしていると感じる。自殺はサインを見逃した結果生じたものという含みがその言葉にあるからだと思う。
実際に自殺のサインは意味する内容がわかりにくく、何を指すかが曖昧である。
自殺のサインとして、例を羅列しているが、その後で、以上のサインの中にはそれほどめずらしいことではないと考えられるものもあるかもしれません。難しいことではありますが、子どもに関わる大人は子どもの変化を的確にとらえて、自殺の危険を早い段階で察知し、適切な対応ができるようにしたいものです。と記載されています。
それほどめずらしいことではない、とか、したいのもです。とか普通にみられる行動も含まれているとか、希望が最後にかかれていて結局はサインはわからないということではないのだろうか
困難な直面にならない内にこどもに権利教育をきちんとして、それ以上に大人にその権利を受け止める教育をもっとすべきでないだろうか
状況が困難になればなるほど、子どもだけでなく大人も助けてといえなくなるし、勇気を振り絞って声を出しても事態が深刻すぎて、相談された側にその問題を抱える耐性がなく、その場しのぎの解決策をしめして、当事者の喪失感が増していく結果になっていないだろうか
日頃から、子どもの「きいて、みてて」を満たす環境をつくることが、子どもが早くSOSをいえる環境になるのではないだろうか
そのためには、受け止める側の大人の理解不足が大きな問題のように感じる
