包括的性教育は人権教育
人権も性もきちんと学ぶ機会があったかな
包括的性教育は人権教育、講演を聴くとそうだ、そうだと思う。でも自身のこれまでを振り返りると今だにタブー、偏見がいっぱいある事に気付かされる。
性については小学校の頃に女子だけで集められて先生が話しをされて、男子は普通に体育の授業をしていた記憶がある。昭和だったので夜、家族でテレビでみていると女性の裸がでてきて親があわててチャンネルをかえる。女性を性的対象にしたお笑いもたくさんあった。でも大人には話せない。学校の帰り道に道端におちているエロ本を誰にもみつからないように友達とドキドキしてみていたのをおもいだす。タブーだから人には言えない、でも関心がある。性は秘密にしておけなければならない。でもとても関心があることだったの覚えている。
そんな思春期から大人になり、包括的性教育が行われるようになり、子どもの権利もいわれるようになり、アドボカシーの大切さもいわれるようになった。
自分の生い立ちの誤学習にきづきアップデートをしていくように意識しているが、性に関する誤学習、気づかないでいる人権を侵害する意識が自分の中にたくさんあると思う。
包括的性教育をきちんと学ばないと、人権を語れないと思うほど大切な事だと思う。決してタブーにしてはいけない大事なことだと感じます。
