話す場もないが 聞く場もない
弱さの情報公開
講演会にて講師の方の「子どもは話を聞いてもらえる場が少ないが、それと同じくらい同じような立場の人の本音を聞く場所がない」という一言に考えさせられました。
傾聴・アドボゲイトの実戦、研修で私自身、聞く力は少しづつアップデートしていっていると思います。周りにも子どもの話しを聴こうとする大人は増えていると感じています。でも継続して実践、研修を繰り返さないと、ついあなたのためを思ってと子どもの話しを取り、自分の価値観を押しつけてしまいそうになるし、気づかない内におしつけているかも知れません。長年の習慣を変えるのは時間がかかります。
それでも聞いてもらえる場は少しずつつ、つくれていっていると思います。
ただ聞ける場所はつくれていなかったなあと思いました。学校にいきたくないとか、こんな事言ったら嫌われるんじゃないかとか、このルールおかしいと思うけど、みんな当たり前に従っているからおかしいと思う自分は人と違ってどこか異常があるのではないだろうか、とか心の中のモヤモヤ、不安が誰しもがあると思います。それが自分だけでなく、他にもそう思っている人がたくさんいると思うと確かに安心で自己肯定感が持てるようになるなあと思います。
それには、場をつくる大人が、自分の弱さの情報公開して、ありのままの自分をさらけだす事が必要だと感じます。そうすると子どもも安心して、自分の弱さを話せて1人が話せば、他の子どもも、私もそう思うと安心して話せる場になるのでは、ないでしょうか
