大人な暇な時間をつくらなければ
大切な人の話をきけてますか
2日間の大学生向けの「心と向き合うリトリート」を開催しました。開催の目的は、そのままの自分でいい、そのままの自分でいられる空間、日常とは違う時間も流れていることを感じてほしいということです。自然を五感で体感してもらい、日常の喧騒の中では考えていない大切な事を立ち止まって対話してみる。そんな時間をつくっています。
参加者の感想の中で、多いのがリトリートの本来の目的の効果ではないのですが、大人に話しをきいてもらえた。大人に対等に話しをしてもらえたことが嬉しかったし、たくさんの事を学ぶことができたという感想です。
私は小学生対象にアドボケイトしています。とりとめのない内容でも、雑談でも大人が自分の話しをきいてくれる。またそれを評価しない。ことにとても喜びます。
大人に話しをきいてもらう事がないまま、中学、高校、大学と進んでいけば、大人に話しを聴いてもらうことが今回の参加者のように新鮮な体験になることは、当たり前のことかも知れません。
しかし、これは非常に危ないことだと感じます。このことが自己肯定感を持てない、自分の基本的人権さえもあると思っていない子ども、若者を育ているのではないのではないでしょうか
未来に繋いでいくことが大人の役割です。何を繋いでいくことが必要なのでしょうか。自己肯定感を持てない次世代をつくっていく事が未来をつくることなのでしょうか
大人が暇になって子どもの話しを聴く余裕がある。そのような社会のしくみにしていくことが、経済をまわすことよりとても大切な事だと私は思います。