54歳の自分から15歳の自分への手紙
15歳の自分へ
信じられる大人なんていないと思っているよね。
当然だよね。お母さんが亡くなってから、あなたのことを思っていってるの、あなたのお母さんもきっとのぞんでいると、いって自分の家族のなかに土足でふみこんできて、引越し、転校、父の再婚と勝手にきめられて、あなたのことを思ってる、はあー、ぼくの話しをきいたことある?亡くなった母がのぞんでる?あなた達と母は本音で話したことはないよ。全部、あなたのため、今はわからなくても大人になればわかって感謝すると自分の都合のいいように、生活環境を変えられて、大人へのにくしみしか持てないのは当然だよ。
自分が自分でいるためには、勝ち続けるしかない。
勝ち続けるとは、そんな大人に服従しないこと、そう思って踏ん張っているんだよね。
リーゼントやみるからに不良ですという服装をしているのは、社会、大人に近寄らさせないようにするためだよね。
反抗すればするほど、大人や社会のイヤなとこばかりがみえてきたよね。
自分の体裁ばかり気にする大人、相手の立場により態度をかえる大人、学歴、会社名でしか人を評価できない大人、強い者にこびて、弱い者をたたく社会、
そんな大人を思い切りにらみ、敵対心をむきだしにしたくなるのは、よくわかる
誰も信じられない。強く生きるとは、誰にもたよらずに自分の意思をつらぬいて生きること。そう思って頑張ってるんだよね。
54歳の自分からみても15歳の君の痛み、怒りはよくわかるよ
15歳の自分が勝ち続けねばならない。威圧的な態度で人を寄せ付けない、君がふたをしている感情もみえるよ。
大好きだったお母さんが自ら命をたったこと。自分を産まなければ、病気がひどくなることもなく、今も元気で過ごしているのではないかと、自分のせい、自分は生まれてこなればよかったと自己肯定感が持てずに、かといってお母さんに命にかえて産んでもらったのだから、死ぬわけには、いけない。生きたいと思わないのに、死ぬこともできない。そんな日々を過ごしていることも
いのちの大切さ、充分にわかっているよね。多分、同年代に比べても、わかっているというか、死 というものを考えているよね。
いのちの大切さをどんなに学んでも、それ以上に生きてはいけないと自分で思う理由があるんだよね。
誰もその気持ちに寄り添ってくれないよね。というか生活環境が変わってからは、自分がそんな気持ちでいるんじゃないかと察することができるような自分の生い立ちを知ってる人もいないよ。自分が甘えられる人は、自分の周りにいる大人から遠ざけられてしまったしね。
54歳の自分が思うこと。もし、この時、この心の奥底にあるこの気持ちを誰かに話せていたら、そして、僕のことを肯定も否定もせず、ただ僕の気持ちを受け止めていてくれていたら
54歳の僕は、全然違う人生になっていたと思う。そう全く違う大人になる過程を歩んだと思うよ。
そのくらい君は、頑張っているんだよ。今の僕にはない強靭な精神力と我慢、そして、お母さんが死んだ後、何でこんな大人たちが生きていていいんだという怒りも支えになっているのかな
もう一つ強靭な精神力でボロボロな気持ちがふきださないでいるよね。今の君はこの気持ちに気づいていないかもしれない。誰にもたよらず、勝ち続けるしかないとあがく事で、反応することで、自分をたもっているから
過去、現在、未来の時空を超えて15歳の自分に教えることが、できるなら、でも、こんなこといっても君は受けいれないかな、自分はそんな弱い人間じゃない、
とにらみつけられるかな、
でも心のどこかに、この言葉が、のこっていて、今じゃなくても、君が、少しでも早く心が楽になればと思っていうよ
君は傷つくのが、こわいんだよ
誰かを好きになって、その人にありのままの自分を受け止めてもらって、そして自分もありのままのその人を認めて、お互いに尊重し、寄り添い、共に生きることができる人、そんな人がそばにいてほしい。でもそんな大人はいない。社会で成功している大人にはそんな大人はいないともうあきらめ、決めつけてしまっているけど、その気持ちでもう一つの自分の気持ちに気づいていないけど、
君はこわがっているよ。自分が好きな人、自分が信頼できる人も死ぬ。そして、それはいつくるかわからない。突然やってくる。その別れがたえれないんだよ。
だから、人との間に無意識のうちに壁をつくって、
それより中に人が入ってこれないようにしてるんだよ。
だから、いつも遠くをみてるとか、わたしの事をみていない。とか、すましてるとか、きどってる、とか上からみてるとかいわれてたりするんじゃないかな
本当は、もっと仲良くなりたいのに、
無意識にブレーキがかかって、前に進めないようになってるよ。
54歳のぼくは、強いという事は、自分の弱いとこもさらけだすこと。そして助けてほしいといえること。そんな依存先をたくさん持つことだと思えてる。15歳の君とは、正反対だね。今でも変わらないことは、弱い立場の人を虐げる事はおかしいと思うし、社会が変わらないといけないと思ってそんか発信は続けているよ。
どうして、前向き生きてるのかって、15歳の僕は54歳の僕に思うだろう。
それは、自分の話しを聞いてくれる人、信じてくれる人に出会えたからだよ。
だから、今、君の目の前は真っ暗闇だけど、歩いていけば、必ず自分の話しを聞いてくれる人、信じてくれる人に出会える。それだけは君に伝えたい。
だからたくさんの道を探してほしい、歩いてみてほしい。社会をにらみつけるだけが道ではない。そう思える人に必ず出会えるから
必ずだれかに出会える。少なくとも54歳のぼくのまわりには、そんな大人がたくさんいるよ。
それだけは、15歳の君に伝えたい。