ゆっくりと歩くと風がやさしい
内面を深く見つめ耕す人たち
「弱さを愛せる社会へ」野澤和弘著の印象に残った箇所を紹介する3回目になります。
今、生きづらさを抱えている人が今のありのままの自分でいいいんだと思えればいいなあと思い紹介します。
ひきこもりを、あまりネガティブにとらえてばかりではいけない。ひきこもっているから、誰かを傷つけたり、自分を殺したりすることもせずに済んでいるのかもしれない。命がけで自分を守りながら、自らの内面を深く見つめて耕している。そんなふうに思えてくる。
いじめや虐待に傷つき、疎外されている人のなかにも、自分の内面を見つめる繊細な感性に、みずみずしい美しさを感じさせられることがある。
学歴社会に敷かれた正規の路線から外れてしまった存在のように見られてきたが、必ずしも彼らの内側で起きていることが知られているわけではない。多くの人がストレスの多い社会を生き抜くなかで、無意識のうちに感覚を鈍麻させ、忘れてしまったものがそこにある。ごまかしたり、知らないふりをしたりすることができないからこそ残っている、むき出しの弱さ、混ざりけのないやさしさのようなものを感じたりもする。
ゆっくり歩くと風がやさしい
「だめなところ」「できないこと」ばかりに目を向けられる。家庭ではだめなところを直すようにしつけをされ、学校でもできないことに赤を入れられる。みんなと同じようにできることがとりあえずの目標ーーー。そんな環境で育ってきた子どもは多いのではないか。
しかし、できないところばかり見られたら自信がなくなる。息苦しくなって、おもしろくない。ありのままを受け入れ、よいところを見て褒めてはどうだろう。
誰よりも速く走り、先頭でゴールするだけが幸せなのではない。
ゆっくり走らなければ見えない風景もある。
何度失敗してもいい。失敗が許されなければ冒険も挑戦もできない。
ありのままの自分でいい。誰と比べる必要もない。ゆっくり寄り道したり、立ち止まったりして歩いていこう。そう思えるといいな