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BLOGあしあとのかなたに

自己肯定感と自己有用感

2024.04.07

私の感じている事を言語化してもらっている。

「弱さを愛せる社会へ」野澤和弘著を読みました。野澤さんは若者・家庭・障害者などの視点から社会の変化を見続けてきたジャーナリストです。未来を絶望の色で塗りつぶしてしまうわけにはいかないという思いが読んでいて伝わってきました。全頁、心に響きますが、特に印象に残った箇所を紹介します。

無条件でありのままの自分を認める

わかりやすくいうと、自己肯定感が「自分の自分に対する評価」であるのに対し、自己有用感は「他者からの自分に対する評価」であり、他者の視線(価値観)を通して自分が価値のある存在として認められる感情のことである。
幼児教育の分野では、自己有用感を重視する考えが強い。自己有用感が高まると、人に喜ばれたいという気持ち、自分が行動することで他者から感謝されることに喜びを感じて、思いやりの心が育つという。もっと頑張ろうという気持ちになり、学習活動が積極的になり、さらに自信をつけていく。人の気持ちをおもんばかり、協調性が育ち、集団活動に積極的にかかわろうとする、などの効用が挙げられている。
自己有用感を高めることはさまざまな教育効果を上げることにつながり、教育現場で大事なものと認識されているのはわかる。
しかし、注意しなければならないのは「他人の視線を通しての自己認識」という点にあることだ。常に自分が価値のある存在と認められているかどうか、他人や所属する集団の視線を気にしながら、頑張ることを無意識のうちに強いられる子どもを想像すると、なんだか手放しで喜べなくなる。
子どもは、無条件でありのままの自分を認めることができることのほうが自然ではないのかと思えてしまう。アメリカやイギリスの子どものように、自分が役に立つか立たないかなどではなく、どの子も自分に自信をもち、今の自分に満足し、自分には長所があると思ってほしい。そう感じるのは私だけではないと思う。
人間の有用性などというものは実に多様であり、一つの単純な尺度で測れるようなものではない。ある角度から見れば役に立っているようには見えなくても、見えないところで有用な働きをしている場合もある。そのときにはわからなくても、長い時間たってから有用性に気づく場合もある。役に立っているかどうかなど自分自身にはわからないことの方が多い。社会の価値観が変われば、個人の有用性などいかようにも変わるものだ。人工知能(AI)が普及していくと、産業社会のなかで人間の役割はどんどん奪われていく。これまで通用していた有用性の尺度など吹き飛んでしまうことだろう。人間の存在に関する価値観を根底から考え直さなければならない。
そもそも、子どもに自分の有用性を過剰に意識させるような社会には抑圧的で暗いものを感じてしまう。もっとおおらかな心で子どもたちを見守ることのできる社会にしないと、大人たちだって息苦しくてかなわない。未来がしぼんでいくばかりだ。

何度でも読み返してみたい。