人を教育しているの、AIをつくっているの
生成AIについて
清水亮著の「教養としての生成AI」を今、読んでいます。
あれっと思ったとこを紹介します。
筆者が「AIとは何か」と問われたら、「思想を映す鏡」と答えるでしょう。鏡は驚くほど精緻に現実を映します。
そこに映るものは、全く現実そっくりに見えます。まるで鏡の中に別の世界があるかのような錯覚さえ生じます。
けれどもそれは、ただ入ってきた光を跳ね返しているだけなのです。鏡は現実について何一つ理解していないだけでなく、そもそも理解という概念すら必要としていません。
大規模言語モデルもこれと同じです。決して人間社会のことを理解しているわけではなく、非常に複雑で精緻に作られてはいるものの、本質的にはただのただの鏡であるということを理解しておく必要があります。
一歩下がってみれば、大規模言語モデルは巨大で精巧な錯覚を作り出す仕組みにすぎません。なぜこれがもっともらしい言葉を作るのかといえば、もっともらしい言葉を作るように訓練されたからです。決して中味を理解しているわけではありません。
こういう風に子どもの教育をされている面があるように私は感じて怖くなりました。
人らしさとは
AIと同じようになるように教育しても、AIのほうがどんどん優秀になっていくでしょうし、AIが役割を担ってくれるところを、これからの人が教育受ける必要があるのでしょうか
創造できる力をつくること。
このことが必要ではないかと改めて感じました。