自死遺族の会
宇多田ヒカルさんの自己開示に感謝
宇多田ひかるさんが、大切な家族が自死で亡くなった後、自死遺族の会に通われたこと。学んだことをXにポストされました。
大切な人を自死で失い喪失のどん底にいる人、喪失に無理矢理、蓋をして日常を過ごしている人の何かの気づきになれば、また自死遺族の会の果たす役割について多くの方に理解頂ければと思います。宇多田ひかるさん、ありがとうございます。
以下、宇多田ひかるさんのポスト内容を引用させて頂きます。
自死遺族の集会に通ってみた時期、精神分析、育児や創作を通して自分と向き合い続けたこの10年で学んだこといろいろ。
死に正しいも正しくないも自然も不自然もない。
何かをすると決めた人間がそれを実行するのを周りがいつまでも阻止するのはほぼ不可能。
今知ってることをまだ知らなかった時を振り返って「ああしていれば」「なぜ気づかなかった」と自分を責めるのはまだ手放す準備ができていないから。
人が何を感じてどんな思いでいたか、行動の動機やその正当さなんて、本人以外にはわからない。わかりたいと思うのも、わからなくて苦しむのも他者のエゴ。「理解できないと受け入れられない」は勘違い(恋人に別れを切り出されて理由と説明をやたら要求するひと的な、一種のパニック状態)で、「受け入れる」は理解しきれない事象に対してすること。理解できないと理解すること。
人が亡くなっても、その人との関係はそこで終わらない。自分との対話を続けていれば、故人との関係も変化し続ける。
参考になるって思う人が一人でもいたら書いてよかった。
みなさん良い一日を♡