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BLOGあしあとのかなたに

よい人とわるい人

2022.12.04

よい人ばかりだと

最近、利他についてワークショップをしている時に、自分に対する執着、我欲をなくした時に自利とか利他とか
2元でなくなり、一体となる。これが利他という結論は同じだったのですが、これを例える話で、あなたの例えは我欲が残っているから例えとして正しくない。いいえあなたに我欲があるからこの話を理解できない。と双方譲らず関係のない日頃の事まで非難のしあいが始まりました。
第三者からすると、結論は同じなのにその例え話で言い合いになり、つにには関係のない日頃のことまで言い合い
が発展するという滑稽な話です。
でも日常でこのような事は頻繁におこなわれていませんか?私自身も心当たりは無数にあります。
みかねてファシリテーターがロシアとウクライナの戦争の話をしました。
ロシアもウクライナもよい人ばかりです。だから戦争が起こる。
よい人だから自分の国に誇りも持ち、自分の国が正しいと信じる。お互いが自分の方が正しいと譲らいから戦争が
起こる。
よい人は、自分が正しい、相手が間違ってる、このよい人の心理が様々な個人、集団の争いを生じさせています。
争いをしているどちらも自分がよい人で相手がわるい人だから、非は相手にあります。
この悪循環を正していかないと争いによる悲劇はなくならないと感じました。

よい人ばかりの家とわるい人ばかりの家

次によい人ばかりの家とわるい人ばかりの家の例え話がありました。
よい人ばかりの家からはいつも怒鳴り声がしています。その隣にあるわるい人ばかりの家はいつも笑い声がしています。あるときよい人ばかりの家のご主人がわるい人ばかりの家のご主人に「あなたの家はどうしていつも笑い声がするのか」と尋ねました。その時、わるい人ばかりの家から「ガシャーン」と陶器が割れる音がしました。
するとわるい人ばかりの家から奥さんの「ごめんなさい。私がよそみして歩いていたから陶器に気づかなかった。
私がわるかった」という声が聞こえてきました。その次におばあちゃんの「いいえ、人が通るところに陶器を置いていた私がわるかったのよ。あなたのせいではないよ。」との声が聞こえてきました。
という例え話です。自分の反省のみをして相手を批判しない。だからわるかった。という言葉が自然にでるのだと
思います。
やはり誰でも自己への執着があり、それが傷つけられたり、恥をかくことは耐えれないことです。
自己への執着をなくしていく事が争いのない笑い声がたえない世界をつくっていけると思います。
そのような人に少しでも近づいていきたいです。